深大寺|お蕎麦、縁結びのご朱印、護摩祈願、国宝仏

深大寺|お蕎麦、縁結びのご朱印、護摩祈願、国宝仏

深大寺は、東京都調布市にある古刹で、天台宗のお寺です。京王線の調布駅から「深大寺」行きのバスで約15分。終点でおりると、目の前が参道です。

写真は、蕎麦屋や土産物屋が軒を連ねる参道の正面に、南向きに開いた切妻茅葺きの山門。市有形文化財です。

江戸期からの名物という深大寺蕎麦や、国宝仏に文化財の数々、護摩祈願…そして圧倒されるような豊かな森。都心からは少し離れますが、ぜひ訪ねてほしいおすすめのスポットです。

お腹も心もいっぱいになる深大寺のみどころを紹介します。

深大寺の歴史

深大寺本堂深大寺 本堂

深大寺は、奈良時代(733年)に、水の神である「深沙大王(じんじゃだいおう)」をまつる寺としてひらかれたといわれています。

いま深大寺の境域は清水にめぐまれ、その清冽な水はつきない流れとなって、かつては下流の田を潤してきました。古代、その水を求めて集まった人々の泉に対する感謝の心は、素朴な水神信仰を生み、やがて仏教の伝来とともにこの霊地に注目して寺が建立されたといわれます。これが草創期の姿なのでありましょう。
引用元:深大寺の歴史|深大寺開創と水神「深沙大王」起

この深沙大王が、深大寺の開山に関わる恋の仲立ちをしてくださったということで、恋の縁結びの神様としても信仰をあつめているということなのですが、そのお話はまたのちほど。

さて、平安時代。武蔵の国で反乱がおこり、京の天皇が反乱をおさえるために送り込んだのが、“修験の達者である比叡山の恵亮和尚(えりょうかしょう)”。みごと反乱をおさめ、ごほうびとして深大寺を賜ったことをきっかけに、深大寺はそれまでの法相宗から天台宗に改宗したのだとか。ここから天台密教、そして護摩祈願につながっていくのですね。

そして現在、深大寺の護摩祈願は、本堂のひだりてに建つ元三大師堂で行われます。元三大師(がんざんだいし)とは、平安時代を生きた第18世天台座主(天台宗総本山延暦寺の住職)・良源のことで、当時、荒廃していた比叡山を復興し“叡山中興の祖”と仰がれる、ものすごく偉いお坊様なのだとか。正月三日に入寂されたので、元三大師と呼ばれるように。なんと、“おみくじ”を発明したのは、この元三大師だそう!

縁結びのご朱印

深大寺の開山に関わる恋の仲立ちをしてくださったという深沙大王。いったい何をしてくださったのかというと、寺をひらいたと伝えられる僧・満功(まんくう)の両親の恋を仲立ちしてくださったのだという。

満功さんは、両親の恋が成就しなければ自分は生まれてこなかったわけで、きっとその感謝の気持ちも込めたことでしょう。これが、深大寺開創の伝説というから、なんともロマンチックなお寺ではありませんか。

ご両親の恋バナをもうすこし詳しくお伝えしますと…満功さんの両親の恋は、お母さんの親に反対されていて、お母さんは島にかくまわれてしまったのだとか。お父さんは、お母さんに会いたい一心で、深沙大王にお願いしたところ、霊亀の背に乗ってかの島に渡れちゃったという。この奇跡を目の当たりにして、お母さんの親も許してくれて恋はめでたく成就。

そんなありがたい縁結びの深大寺では、縁結びの深沙大王ご朱印(500円)をいただくことができます。

基本は、毎月17日深沙大王月例法要にあわせてのみの授与とのことですが、2018年7月17日から9月末日は、朱印所にて毎日授与されるそう。

なお、紙のご朱印のみ頒布で、ご朱印帳に書いていただくことはできませんのでご注意を。

絶対秘仏の深沙大王像を忠実に模したご朱印。とても素敵なご朱印です。深大寺公式サイトで見ることができますので、以下リンクよりぜひご覧ください。

深大寺公式サイトへ >ご朱印 | 深大寺 

護摩祈願で、煩悩を焼きつくす

深大寺 元三大師堂深大寺 元三大師堂

元三大師堂で行われる護摩祈願。祈願は、すべて元三大師を本尊として行われています。

護摩祈願は、炉の中であかあかと燃え上がる護摩木の炎、浪々と響き渡る読経の声と力強く打たれる太鼓、さらに追い打ちをかけるように吹き鳴らされる法螺貝…と、さながら一大スペクタクルです。

護摩とは、サンスクリット語・梵語(古代インドで使われていた言葉)でホーマ(homa)といい、焚く・焼くなどの意味があります。
護摩は護摩壇中央にある炉の中に供物や護摩木(願いが書かれた特別な薪)を入れ、仏の智慧の火で煩悩を焼きつくし、皆様の願いを元三大師様にお伝えし、所願が成就する事を祈ります。(引用元:護摩祈願について|深大寺

護摩祈願を受けるには、当日、元三大師堂受付で申し込み用紙に、お願い事と氏名など必要事項を記入の上、護摩祈願料を納めて申し込むだけ。あとは、祈願時間前に元三大師堂へ入って座って待ちます。

座る場所は、護摩焚きの様子を目に焼き付けたければ、中央前寄りがおすすめです。うっかり炉のしつらえに吸い寄せられて、炉の真ん前に座ってしまうと、護摩焚きされるお坊様の背中ばかりを眺めることに。

祈願の読経のあいだに、自分の名前も読み上げられます。いま、自分の願いが元三大師様に伝えられてるんだ、と緊張の一瞬です。

護摩の火がおさまると、お坊様からの法話があって、護摩祈願はおしまい。ぜんぶで30分程度です。さいごに、自分の名前と願い事が達筆で墨書された護摩札をいただいて帰ります。

祈願料は、3,000円から。祈願料に応じて、護摩札の大きさが変わります。護摩札が必要なければ、護摩木だけでもお願いできますので、ぜひ現地で確認を。

祈願時間は、平日は午前11時・午後2時、土日祝日は午前11時・午後1時・午後2時(2018年7月26日現在)。お正月や節分など、時間が異なる場合もありますのでご注意ください。

※最新情報は、公式サイトへ → 護摩祈願について|深大寺

国宝「銅造釈迦如来像(白鳳仏)」

深大寺には、国宝があります。2017年3月、国宝に指定された「銅造釈迦如来像(白鳳仏)」です。境内の釈迦堂で見ることができます。拝観料は、300円(高校生以下無料)。

はじめて拝見したとき「思ったより小さいし…それに、なんか新しくない?」などと思った罰当たり。

だって、ものすごくきれいで、造形はもちろん麗しいのですが、保存状態がすごくいいというか、つるりんとしていて真新しい印象だったのです!

飛鳥時代7~8世紀初の作と伝えられているということは、かれこれ1300~1400年くらいは経過しているわけです。飛鳥時代というと、聖徳太子のころですよね? それなのに、このつるぺかっぷり! “銅造” というのは、経年劣化しないものなのかな。

などと、そんなことを思いながら、資料をあれこれ拝見していましたら、なんとこちらの国宝仏、幕末~明治のはじめごろから、1909年(明治42年)に識者の手によって再発見されるまで、うっかり元三大師堂の須弥壇(仏像を安置する台)の下に、横置きされていたのだとか。どうやら、幕末に深大寺が諸堂を焼失した火事のどさくさで、元三大師堂の須弥壇下に仮置きされたままになっていたようだという。当時の小僧見習いさんが、そのころは誰もそれほど重要なものとは知らず、掃除のついでにはたきをかけたりしていた、なんていう楽しいエピソードが残されています。

そんな苦難をのりこえ、大正時代には旧国宝指定、昭和時代の重要文化財指定をへて、このたびめでたく新たに国宝指定を受けるはこびに。

なお、本像には1932年(昭和7年)に、深大寺と親交があった江戸料理「八百善」の八代目・栗山善四郎から二枚扉のついた入れ物「深大寺釈迦如来像厨子」(市有形文化財)が寄進されたという。

八百善といえば、江戸時代の1717年(享保2年)創業の江戸料理の名店。「料理屋の枠を越えた、高級サロンのような存在(江戸文化と八百善|八百善 より) 」だったということで、深大寺も、そういったセレブリティのなかまだったのだろうかなあ。素敵。

八百善は、バブル崩壊後の一時期、店舗なしの経営をしていたけれど、現在は鎌倉の明王院境内の一角に「割烹家 八百善」として店舗を構えて営業している模様。江戸料理って、どんなものなのでしょう。

国宝・深大寺「銅造釈迦如来像(白鳳仏)」

写真:国宝・深大寺「銅造釈迦如来像(白鳳仏)」(深大寺パンフレットを撮影)

秘仏「元三大師像」

護摩祈願が行われる元三大師堂の本尊は、秘仏「元三大師像」です。坐像にして2メートルの大きさ。秘仏ということで、ふだんは拝見することができないのですが、何十年かごとに開帳が行われています。

ふるくは、江戸時代の1765年と1816年に両国回向院で出開帳が、昭和時代には1934年(昭和9年)と1983年(昭和59年)に特別開帳、平成になると2009年(平成21年)に中開帳が行われました。

昭和以降は、それぞれ元三大師の没後950年、1000年、1025年にあたる年。この流れでいくと、次の開帳は、没後1050年の2034年。あと、16年。ぜひこの眼で、拝みたい!

深大寺蕎麦

深大寺のお楽しみといえば、なんといっても深大寺蕎麦。

深大寺周辺の土地は、蕎麦作りに適した土壌で、ふるくから蕎麦作りが行われてきたそう。農家から寄進された蕎麦で、深大寺の僧がつくった蕎麦切りが三代将軍・徳川家光に激賞されたとか、上野寛永寺大明院法親王に献上して賞賛を得たとか、深大寺蕎麦が何かしらのお墨付きを得るにいたった経緯には諸説あるようです。

いずれにしても、“献上蕎麦”として一部のセレブリティのための“セレブ蕎麦”だった深大寺蕎麦が、庶民の間でも人気を博するようになったのは、江戸時代後期に、江戸文化人のひとり太田蜀山人が、幕府の役人として多摩川を巡視した際、深大寺に泊まって深大寺蕎麦に舌鼓。その魅力を宣伝したことがきっかけだったのだとか。いわゆる、人気クリエイターがインフルエンサーとなってクチコミで広がり、人気に火が付いたってやつでしょうか。

この太田蜀山人というひと、あの “高級サロンのような存在” だった八百善に出入りしていたという文化人のひとり。さぞや、八百善コミュニティのクリエイター仲間にも、あそこの蕎麦はうんまい、と吹聴しまくったことでしょう。深大寺蕎麦の老舗「元祖 嶋田家」の伝承によると、とりわけ武蔵野を散策する文人墨客に愛され、それが深大寺そばの名を高めることになったというのも納得です。

今では、たくさんのお蕎麦屋さんが並び、どこにしようか迷ってしまうほど。写真は、なかでも人気の行列店「そば処 湧水」の九割蕎麦「湧水天もり」(1,450円)です。深大寺手打ちそば そば処「湧水」湧水天もり(1,450円)

蕎麦は、ほどよいガサつきとつるつる感の風味よい蕎麦。天ぷらの衣は、サックサク。海老天の身も、喜びの太さです。蕎麦つゆも、天つゆも、よいお味…ほんとうに、おいしかった!

深大寺手打ち蕎麦「そば処 湧水」

深大寺手打ち蕎麦「そば処 湧水」

迫力の緑、そして、なんじゃもんじゃの木

緑豊かな深大寺の境内。圧倒されるような大きな樹々たちこそ、古刹の貫禄そのものです。

深大寺 東門深大寺 東門

深大寺 鐘楼深大寺 鐘楼

深大寺 常香炉深大寺 手水舎

手水舎の奥、本堂のひだりてには、通称「なんじゃもんじゃの木」があります。

 「なんじゃもんじゃ」は「あれはなんじゃ」「なんの木じゃ」がなまったという説があり、限られた地域で自生する珍しい樹種や巨木の愛称として呼ばれ、同寺ではモクセイ科の落葉高木である「ヒトツバタゴ」。親木は明治神宮にあるといわれている。(引用元:調布経済新聞

撮影時は花の季節ではなかったので、ふっさふさのグリーンですが、5月初旬ごろには白い花が咲き誇り、まるで雪が詰まったようになるのだとか。木の下では、コンサートが開催されたりするそうで、この季節にもぜひ訪れたい。

都立「神代植物公園」も

みどころ満載の深大寺ですが、せっかく足を延ばすなら、ぜひあわせて訪れたいのが神代植物公園。

そもそもは深大寺の旧寺領で、近年では東京の街路樹などを育てるための苗圃だったところ。戦後、神代緑地として公開され、1961年(昭和36年)に名称を神代植物公園と改め開園した、都内唯一の植物公園です。なんといっても春と秋の薔薇が見事。2016年にリニューアルオープンした大温室も見ものです。

※当記事の情報は、すべて2018年7月現在のものです。

<参考>
深大寺ホームページ【厄除元三大師 深大寺】東京都調布市
天台宗 > 天台宗について > 歴史
創業享保二年 江戸料理「八百善」:江戸文化と八百善
深大寺そばの歴史
元祖 嶋田家|調布市深大寺山門前の歴史と伝統の蕎麦処|ちょうふどっとこむ
||| 湧水 ||| 調布市・深大寺・手打ち蕎麦(そば)
調布・深大寺の「なんじゃもんじゃの木」が見頃に-「ヒトツバタゴ」が満開 – 調布経済新聞
『調布の文化財』第56号 平成30年3月29日発行 刊行物番号:2017-235




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