浅草六区、ふたたび。サステナブルな文化発信のプラットフォームへ

かつて興行街として、隆盛期には道からこぼれるほどの人出があったという浅草六区。その日本随一の“興行街”浅草六区を復活させようというプロジェクト「浅草六区 – Connect with the world -」がスタートしました。

浅草六区エリアは、浅草寺の西側に位置する、浅草の西の玄関口。浅草観光の拠点として、国内外から多くの観光客が訪れるエリアです。浅草六区という通称は、明治時代に、現在の浅草寺周辺が都市公園「浅草公園」として一区から六区まで区画整備されたことに由来するもの。浅草公園は、第二次世界大戦後なくなりましたが、興行街として栄えてきた六区の呼び名は、今に引き継がれています。

当プロジェクトは、この浅草六区の約300メートルにわたる目抜き通り「浅草六区ブロードウェイ」を全面開放し、国内外とつながり、共存、還元していける持続可能な文化を発信する様々な取り組みを行うなど、サスティナブルな文化発信のプラットフォームを創出しようというもの。政府の国家戦略特区 国家戦略道路占用事業に認定され、2019年10月25日にスタートしました。

まずは、日本各地の唯一無二な文化である祭りを浅草六区に誘致したり、浅草六区ブロードウェイ全体をオープンカフェ化し、最大約19台のフードトラックの食が楽しめる「TOMODACHI STREET」として開放、観光客同士の国境や言葉の壁を越えた国際コミュニケーションを促す“場”を提供するという。

2019年10月26日には、日本の祭り企画第一弾として「桐生八木節まつり in 浅草」 が賑やかに披露されました。「桐生八木節まつり」は、群馬県桐生市で毎年8月第1金・土・日曜日に開催される、約50万人以上が訪れる市内最大のイベント。お囃子を聞くと、不思議とワクワクするもので、多くの観光客が足を止めて手拍子したりして見入っていました。

浅草六区ブロードウェイ の商業施設「まるごとにっぽん」前で披露された「桐生八木節まつり in 浅草」
本場の八木節祭りの23チームの中から選抜された精鋭方のパフォーマンスに血が騒ぎます
樽で音頭を取り笛や太鼓のお囃子の中で、かさ踊りや手踊りをする

先日行われたプロジェクト発表会では、六区ブロードウェイ商店街振興組合 代表理事 熊澤永行氏のお話が印象的でした。

熊澤氏は、浅草寺裏の病院で生まれ、六区の中に住まいがあり、六区で育ったという生粋の浅草っ子。浅草六区の栄枯をつぶさに目の当たりにしてきた方です。熊澤氏によると、浅草六区は、前の東京オリンピック(1964年)を機に、カラーテレビの登場などでだんだん人波が消え、10年ほどで静かになってしまった、大きな空っぽな建物がゴロゴロある怖い場所になってしまったのだそう。

「ここで育ち、生活してきた人間としてなんとか活気を取り戻したかった。霧の中でものを探すような感じだったが、(今回のプロジェクトによって)突然霧が晴れました」(熊澤氏)という思いの通り、ぜひ、プロジェクトが多くの人を惹きつけ、往時の賑わいの進化版が、ここ浅草六区で繰り広げられるとよいなと思います。

浅草六区と言えば、お笑いタレント「ビートたけし」が生まれたところという感じ。今あらためて、その遺伝子を受け継いで、落語やいわゆる「いろもの」(漫才、漫談、コント、マジック、紙切り、曲芸、ものまねなど、落語以外の演芸)それから講談やプロレスなんかも!? といった日本独自のエンタメが集まる、“興行”といえば浅草六区、例えば、ミュージカルといえばブロードウェイのような(!)そんなエリアとして盛り上がってくれたら。「今日なんか観たいね。とりあえず浅草六区いってみよっか。」そんな感じの場所。素人としては、そんなことを気楽に考えてみるのでした。

「TOMODACHI STREET」 概要

浅草六区周辺には来年に向けてホテルの開業や建設ラッシュが続いており、外国人観光客が観光だけでなく宿泊する“場” に。そこで、浅草六区ではナイトライフの充実をはかり、美味しい食事を楽しみながら、国境や言葉の壁を越えた国際コミュニケーションを促す“場”を提供する。

<概要>
浅草六区 – Connect with the world -「TOMODACHI STREET」
期間
:2019年10月25日以降の毎週金・土・日・祝日 11~21 時 ※雨天中止・小雨決行
内容:来店者のスマートフォンで12言語の注文と支払いが可能なキッチンカーが最大約19台出店。インバウンド対策とキャッシュレス対策を実施。さらに、浅草六区ブロードウェイ上のパラソルとテーブルには翻訳機を設置し国際交流を促す仕掛けづくりを行う。(12月以降設置予定)

[書籍紹介]『浅草キッド』ビートたけし(著)

明治・大正の黄金期を経て、1964年(昭和39年)の東京オリンピック以降、衰退の一途をたどったという浅草六区。そんな下り坂の浅草へ、コメディアンになるんだと思いこんでやってきた一人の若者の物語。1972年(昭和47年)、ストリップ劇場「浅草フランス座」へ入門したタケこと北野武の自伝エッセイです。

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浅草キッド (新潮文庫) 文庫 – 1992/11/30
ビートたけし (著)

当時の浅草が、まるでそこによみがえったかのように息づいている一冊。巻末には、1955~1956年(昭和30~31年)に浅草フランス座の座付き作家として在籍していた井上ひさしが寄稿しています。

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<参考>
7:娯楽地として賑わう六区 シンボルタワー十二階も ~ 上野・浅草 | このまちアーカイブス | 不動産購入・不動産売却なら三井住友トラスト不動産
浅草公園 凌雲閣十二階 | 弘文堂
八木節 – 足利市公式ホームページ
“興行街”浅草六区の復活! 浅草六区、国家戦略道路占用事業の認定を取得|一般社団法人浅草六区エリアマネジメント協会のプレスリリース




japonism 編集人
大手ISP、東京・銀座の着物小売り店など勤務の後、独立。美容誌Webサイトディレクターをはじめ、CGM、企業オウンドメディア等、各種Webメディアの企画・編集に従事。着物好きが高じて着物の着付師修行も、手先不器用のため断念。それでも、大好きな日本の文化・いいモノ・コト・ヒトを伝えたいと、日本のいいね!が見つかるメディア『japonism』を、2018年6月たちあげ。日本のアップデートに、微力ながら貢献できればうれしい。

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